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2005年03月24日
オタク。
(前略) 会期終盤の3月11日には、同展(日本館)コミッショナーの森川嘉一郎氏、出展者の一人である精神科医の斎藤環氏、そして建築家の磯崎新氏による関連フォーラムが開催された。ベネチアでは賛否両論だったという“暴挙”と今回の再現展の意義が、大阪万博以後のおたく文化の展開、輸出品としての国産アートの歴史などの観点から論じられた。森川氏は、渋谷・恵比寿と秋葉原の対比を、桂離宮と日光東照宮の対比と重ね合わせて説明した。昭和初期に日本に滞在したブルーノ・タウトが桂離宮を「ほんもの」、日光東照宮を「いかもの(キッチュ)」と評したような関係が、オシャレなイメージの渋谷・恵比寿と、恥ずかしいイメージの秋葉原との間に出来ている。実はいずれも、西洋志向を「政治的」に利用し、日本人の側が意図的に採択してきた価値観であるという論だ。
これを受け、磯崎氏は「明治以降、国策として日光(東照宮)的なアート作品を外に持ち出していた時期がずっとある。輸出品として売れるという単純な理由で、そうしていたにすぎない。それを引っくり返したのがタウトで、戦後から1990年代ぐらいまでは、ミニマムで、さらっと軽い桂(離宮)的なものがジャポニカの基準になっていた」と語る。「この次、日本が求められるものとして、おそらく日光的なものにまた戻る可能性がある」。
その予兆を森川氏は秋葉原の変化から察知したわけだが、支配的な動きにまではなるとは思わないという。「明日は必ず今日より素晴らしい、人間は成熟してまともになるといった進歩主義から外れたところに、おたく文化はある」。だから、ポストとかネクストとかいった進展には至らず、幾つもの動きが並存する状況に向かうだろうという見方だ。
空間論や機能論がもはや成り立たなくなった中、おたくが自由に使いこなしているアイコン(図象、聖像)こそが、新しい建築や都市づくりの手がかりになる。「そうした議論のフレームがおたくの中に潜んでいることが、僕には最大の関心事」と磯崎氏は言う。
しかし、真性おたくには自らの姿や文化をさらすことを拒む気質もあって、社会や外国に打って出るなどという期待をかわそうとする可能性も高い。そんな「限りなくずれていく様がわかったことも、今回のおたく展の面白いところだった」。磯崎氏は、予定を1時間超過する熱のこもったセッションをそう締めくくった。
KenPlatzより。
先日行ったオタク展のことが書かれていましたので、一部引用。(文章はユーザ登録しないと見れないらしいのでURLは載せません)
ブルーノ・タウトを引用して「桂離宮」「日光東照宮」と「恵比寿」「秋葉原」を対比させていますが、どうなんでしょうか。確かに山手線で言うところの東側と西側ではオサレ度は違うのかもしれませんがイナカモノの私としましては正直一緒です。といいますか、むしろ恵比寿ってそんなにオサレな街なんですか?ラーメンのイメージがきついんですけど。関東に進出して早7年。未だにオサレな街ってのが良く分らない私でした。
なんか結論っぽいけど、もうちょっと続けます。
えーと、なんだ。
この引用した文章ですが、いくつかの点において興味深い議論がなされていると思います。
1)「明日は必ず今日より素晴らしい、人間は成熟してまともになるといった進歩主義から外れたところに、おたく文化はある」
ほぼ文意に同意しますが、どこでどう考えたらこの結論が出るんでしょうか。私も勉強が必要ですね。そういや、オタクのネオテニー論ってのがありましたっけ。ありゃ日本人のネオテニー論だったかな。覚えていない。(Itmediaの小寺信良氏の文章だ。今調べた。)でもやっぱりよく分らないのは私の理解がないからに他ならない(笑。
2)「真性おたくには自らの姿や文化をさらすことを拒む気質もあって、社会や外国に打って出るなどという期待をかわそうとする可能性も高い」
自らの姿や文化をさらすことを拒む、は判官贔屓とか昔応援していたマイナーアイドルがメジャーになると悲しいとかなんかそういうものに繋がるんでしょうな。オタクさんはオタクさんどうしのコミュニティーで活発な議論をしつつも表には出さない。いや、男前。
それにしてもブルーノタウトを引っ張ってくるあたりが、KenPlatz(建築専門サイト)だ。
投稿者 Tatsuhiko Okazaki : 2005年03月24日 00:31
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